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私の釣りへの想い


今回は私の趣味の一つである釣りについてのお話です。

釣りを始めて31年ほどたちまして様々な釣りをしてきました。釣果主義に走ったこともありでもその中で着実に自分の釣りに対しての関わり方も見えてきました。

そもそも釣り自体が人間の一方的な感情でありそれを魚は何も言わないので耐えてくれている関係でもあります。

その中でも食べる分だけキャッチすることでさえ人間中心でまわっているとおもいます。そんなことを言ったらすべての分野で生活できないのも確かです。

私が共感するフィッシャーマンが言っていた話が私の考えを確信にかえてくれるものでした。

それはその人がアメリカへ行った時のことで現地のフィッシャーマンの自宅へ招待されステイした時のことでした。アメリカではエルクのハンティングという文化がありしかも年に一頭しか捕獲できないと定められています。

ファミリーで毎日山に登り居場所を確認するという日々を送っているそうです。たった一頭をハンティングするために毎日すさまじい時間と労力を費やしはじめて一頭を持ち帰ります。

そのように生きているものに限らず粗末に扱うことは人間として恥ずかしいことだということを知りました。

人間は全てのものに思い入れを持たなければならないのが義務だと思います。すべてのものにありがとうと言える人でありたいと思っています。

暑苦しいのが普通であってほしいと願っています。

なので私の釣りのスタイルは何センチ釣ったとか、何匹釣ったとかはどうでもよくて釣れてくれた魚のために何ができるかだといつも思ってます。結果だけではなくプロセスを持たなければいけないということです。

家族のために何かできているなら魚の為にもできるはずですし心の底からの行動をできるはず。と考えます。

そんな考えから私の今の釣りのスタイルはそのルアーに思いを込めてキャストしテーブルターン、ドッグウォークなど様々な演技をし反応してくれる魚だけと関わります。そうすれば関わる魚の数も制限できるので乱獲を防ぐことができます。

なにより信頼するルアーが水面で演技しているのを見ているだけでご飯3杯ですし帰り道もニヤニヤして大満足です(笑)

いつかは釣れないルアーが世の中のすべてになることを願っています(笑)

世の中販売のために楽しいことしか伝えていないものが多いですが服を着ることが苦しいときがあっていいと私は思います。新品のレザージャケットとか試練みたいですし革靴だってサイズ出しが試練ですよね。ジャケットだって肩こりますし、サスペンダーだって肩こります。でも着た人にしかわからない世界があります。

服と対話し服の希望を聞いて想いを繋げていただけることがわたしの幸せです。




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